• 国際ロータリー第2660地区 大阪イブニングロータリークラブ

会長の報告

president2003私が初めて世界大会に参加したのは、クラブ幹事として参加したメルボルン大会でした。それからちょうど10年、2度目の参加となる世界大会が同じ国のブリスベンになるとは海外旅行にあまり縁のない私にとってはなんとも皮肉なことでした。もっと他の国も見てみたい、とはいつも思ってはいたのですが、いずれの大会も6月末開催で、仕事の都合上中々日程の調整がつきませんでした。会長をお引き受けする際に、この年度に受けよう、と思ったのはこの年度の国際大会が6月初旬に予定されていたことも大きく関係しました。
横文字が苦手な私にとって、国際大会は内容のほとんどが理解できない悲しいお祭りです。しかしロータリアンとして、「世界中の仲間」を感じることのできる貴重な場であり、国際奉仕活動の原点に目を開かせてくれる最も大切な場であるとも思っています。イラク戦争、国際テロ、SARS騒動と出発を躊躇させる出来事を乗り越えられたのは、国際奉仕委員長の迷いの無い参加意思表明と、自分に不足している国際感覚を少しでも補いたいという強い動機があったからです。
さて、SARSショックによる関空までの緊張も機中の人となるうちに徐々に緩和し、ブリスベンの空港に降り立つ頃にはマスクをする人も殆ど見かけなくなりました。翌日の大会会場ではワールドワイドで人が集まるということで多少警戒する気持ちもありましたが、会場に入ってみると、互いの親善意識のためかマスク姿は見当たらず、不安感を残しながらも笑顔のふれあいが始まりました。今回は次年度大阪大会の宣伝をしようと折り紙とパンフレット外交を試みました。大会前夜は旅の疲れも残るところでしたが、折り紙教室と英会話教室、I’m looking forward to seeing you at Osaka … と片言を頭に詰め込んで意気揚々と会場へ、朝食会場でRI理事や交換留学生にアタック、その後、友愛の家へ、あちらで1人、こちらで3人…と外交をはじめ、写真を取り合ったり、握手をしたり、これと思しき人とは名刺の交換をしたり、ということで折り紙外交は大成功を収めました。
ちなみに言語不自由児の私はIYFR(ロータリー国際ヨット同好会)のバースを探し当て、トルコ人のコモドアに挨拶、伝わったかどうかは不明ですが「次年度国際大会の大阪から来ました。大阪湾フリートのメンバーです。大阪へのお誘いに地図とパンフレットを持ってきたので置かせて下さい。」と一括処理を企み、見事に成功させました。
記念写真を撮って、握手をして別れ、皆と合流してお茶席へ、千玄室氏と記念写真を撮って…と、先ず国際交流の実を収めて、その後1時からの大会会場へ、これは10年前にも経験した通りチンプンカンプン、期待するものもなく写真を撮り、雰囲気を味わい、ラタクルRIガバナーの笑顔を見て、1時間半滞在の後に後席の執物な咳に追い立てられるように退出しました。言語の壁の厚さを痛感した国際大会参加でしたが、顔をあわせ、笑顔を交わすことの大切さ、国境を越え、人種を越え、世界の広さを身に感じつつ見識を広げることの重要性と有難さを学びました。
10年前のオーストラリア行きは参加者7名、内5名が自動車によるメルボルンからシドニーへの国内ツアー、O会員と私がグレートバリアリーフヘダイビングというおまけをつけました。今回は5名の参加者が全コースを一緒に回る大陸横断ツアーがおまけとなりました。顛末については参加者各位からの報告にお任せしますが、私にとっては10年間のお付き合いを経て同じ人と相部屋で、同じ気持ちで旅行ができたことがとても意義深く、ロータリーの素晴しさをしみじみと感じる旅となりました。
国際大会参加の報告が序の部分でこのような文章になってしまったのは、海外旅行の経験が少ない私にとっては、出発するまで(飛行機に乗るまで)の葛藤がすべてであり、ツアーに身を委ねてしまえば、後は「俎板の鯉」、放心に近い状態で楽しく過ごして行くばかりで、ということで、海外旅行が苦手な人の共感を得るべく心中の一端を披露しました。

幹事の報告

幹事私の国際大会への参加は今年で2回目、3年前アメリカのサンアントニオで開催されたとき以来です。オーストラリアには、10年ほど前、大阪府立高等学校の理科の教員とケアンズ、シドニー、キャンベラ、メルボルンと主に高等学校を見学する目的で2週間ほど、さらに今年3月、まさにアメリカがイラクに侵攻したその日、孫を連れてケアンズ・グレートバリアリーフへ遊びに来ました。この3回、いずれもその目的は明確に違っていました。
今回の国際大会への参加は、少しでも意義有るものにしようと、来年度実施される大阪大会への招請を国際色豊かに、国際人として、ロータリアンとして参加することを計画しました。私は、過去の経験から海外に出るときは必ず折り紙を、そして空港で購入した週刊誌を持参することにしています。前者は、機中や街角で笑顔の外国人と出会ったら、語学力が貧弱な自分の為のコミュニケーション手段として、利用するようにしています。後者は、かつて文部科学省からの派遣で海外教育視察世界一周に出かけたとき、各外国に駐在する大使館や領事館を訪問し、そこで生活して居られる大使館夫人や職員、駐在日本人ガイドにお土産として持参しましたが、何よりも其の雑誌による日本の情報入手を喜ばれました。以後機会が有るごとに週刊誌を持参するようにしています。常々外国に行った時、その国の言葉でその国の人とコミュニケーションが出来たら、外国旅行は10倍楽しい、また、訪問する国の文化や歴史を学んで訪問すればもう3倍世界が広がる、自分の文化や伝統を自分の手や身体で相手の国の人に知って貰ったらもう3倍友達が増えると信じ、「これを外国旅行を90倍楽しむ法」と自分で名付けていますが、何しろ語学力や文化的な才能というのは一朝一夕で会得できるのではありませんので、悲しいかなありのままの自分以外に表現できないと諦めているのが現状です。
私は全旅行に費やすエネルギーの2分の1を国際大会に掛けることにしました。出来るだけ多くの外国のロータリアンとコミュニケートしたい。その為に100羽の鶴が折れるように千代紙を用意し、60部の大阪市内英語版ガイド地図、60枚の当クラブの週報の用紙を使ってリーフレットを作成し、さらにいくつかのバナーも用意し、4人の会員で分担して持参しました。大会当日は、少々恥ずかしかったのですが、今勢いに乗り熱気上昇中の阪神タイガースのはっぴを着込み大会に臨みました。何よりも恥ずかしかったのは、かつて学校で教えた生徒で、大阪RCから参加の会員にその姿を見られたことです。「一緒に写真を」と云われ、これを機に度胸がつきました。私は、出来るだけアメリカやオーストラリア人でない人に近づくように心がけました。そして、折り紙など差し出し話しかけました。時々、相手に理解してもらえなかったり、相手が興味を持ったのかすごい早口でしゃべり掛けられ「Perdon? I’m sorry I can’t understand what you mean.」を繰り返しても理解できないこともありました。果たして成果が上がったのか、自己満足に過ぎなかったのか。それは実際に私と接して下さった外国の人に評価されなければ解りません。しかし、流暢に外国語が話せなくても身体や表情で相手の心の弦と共振し感動することが出来ただろうと思っています。そしてその視点から見れば、今回私達の努力は成功だったと自負しています。私達が手渡したバナーを受け取るその手のぬくもりを感じたとき、そして目と目を合わせて笑ったその瞬間から、私達双方の胸に付けているロータリーの歯車が、かみ合いながらゆっくりと、しかも確実に回転を始めた音を感じずにはいられませんでした。

新入会員の報告

H会員国際ロータリー世界大会への参加は私にとりまして初体験であり、未知の世界への好奇心と何となく落ち着かない不安とで、胸躍らせながら大会会場であるオーストラリア・ブリスベンへと向かうことになりました。
いよいよ5月31日、現地到着。翌日、大会の朝5時起床、ゴールドコーストのホテルを6時に出発をし、ブリスベンの会場へとJTBが設らえた大型バスに乗り込み約1時間余りの間、バスの中は国際奉仕委員長をはじめ、会長、幹事、私、添乗員、運転手である。そこで、早速大会会場での私達の使命である次年度、日本の大阪で開催されます世界大会をいかにしてアピールをし、理解して戴くかということになりました。まずは、各自分担で大阪より持参した大阪のシンボル大阪城と大会が開催される大阪ドームがカラーイラストされた大阪イブニングRCの素敵なプリント、そして大阪の地図のパンフレットをどのようにして外国の人々に受け取って戴くかが話題になったのです。特に私のように英会話力のない者にとっては悲惨な事態です。想像して下さい。車中は、まるで英会話教室さながらです。私の場合、幹事がたくさん用意して下さった和紙の折り鶴(Crane)をうまく頂戴し、これを使って外国人のロータリアンに話しかけるきっかけをつくるという妙案が成立し、何とか割当の使命を達成し、一日無事に終えることが出来ました。また、国際色豊かな大会セレモニーも充分に実感致しました。
その後は、毎日毎日がこの上もなく晴天に恵まれ、念願のエアーズロック登頂ができ、オーストラリアを満喫する旅が続きました。私たちは、いつの時も、大阪イブニングRCを忘れることなく、国際奉仕委員長、会長、幹事の大阪イブニングRCを思うあまりの意義深い討論会など深夜に至ることもありました。若輩の私もその輪の中に入れて戴き色々と勉強させて戴きました。最後にこの9日間の旅、ごー緒させて敵き、朝夕を共にし、家族のようであった事、いつまでも私は忘れないでしょう。
ロータリアンでなければ体験できない経験をさせて戴き、心より感謝し、ご報告申し上げます。